株式会社ノアジャパン 宮田香司の部屋

株式会社ノアジャパンは、人事支援、営業支援、自立支援、コミュニケーション支援、自己実現の支援。
セミナー、講座の開催も随時行っております。

☆きっとあなたの未来がかわる☆

『My未来Note』

輝く未来クリエーター  宮田香司(みやたこうじ)

プロフィール


宮田香司
兵庫県神戸市に昭和46 年に生まれる
兵庫県立兵庫工業高等学校 電子化 卒業
平成元年 田舎暮らしに憧れ 福井県に単身移住


職歴

  • 学生時代に、新聞配達からスタート、お好み焼き店2年

1989年 ショッピングセンター、大手繊維会社、飲食業、日用品関連、車部品製造などの職を経験

1991年 宝石・時計のショップ専門店事業部を運営

  • 行列のできる宝飾・時計店を築く

1998年 独立したが挫折

1999年 大手教育出版社 入社  営業職に就く

  • 入社3ヶ月にて単月にて全国No1、 3年で年間実績全国No3の営業マンとして活躍
  • 営業を学び、幼児教育・受験教育 子どもの教育について経験を積み所長職を経て退社

2005年 個人事業として再度独立 エレガントライフ設立

  • (健康事業、ホームページ制作などのWEB事業)

2008年 株式会社ノアジャパン 設立

  • 10年ほど学んだ統計学を分析心理統計学として研究開発、
  • ソフト化し事業をスタート 同年秋に自立・コミュニケーション・
  • 自己実現支援ソフト「My未来Note」発売 
  • 企業(個人)相談・学問を学ぶ講座 コミュニケーションセミナー
  • なども開催

2009年 NPO法人 新しい風 理事長に就任

  • 「未来の子ども達の為に夢と自然をつなぐ」植林環境活動をスタート

2010年 市民活動団体ふくい未来ビレッジ・ネットワーク 副代表に就任

2010年 My未来Noteのレンタル版スタート


様々分野の職業を経験する中で自分の本当に進むべき、やり抜く仕事を模索していきました。二度とサラリーマンに戻らないと決意し、生涯掛けてやり抜くことを見つけることができました。


人との関わりなくして生きていけないことに気づき「自立・コミュニケーション・自己実現を支援する」
システムMy未来Noteを開発し発売、さらに2010年レンタル版をリリース。

株式会社ノアジャパン

代表取締役

輝く未来クリエーター 宮田香司

なぜ、My未来Noteを開発したのか。


幼少期にさかのぼる。


 私の幼い頃は5人家族で3畳、4畳半、6畳の部屋に住んでいた。小学校の低学年の頃は、親戚や親の知人宅にあずけられ孤独な日々を送っていた。勝手に自宅に戻ると父親から怒られ、連れもどされて、預けられている家の玄関でよく殴られた。妹たちも何処かにあずけられていた。夫婦喧嘩も多く、母が家を飛び出したり、毎日愚痴ばかりだった。自殺未遂も何度もあった。家族で住んでいるときも、わたしが興味を示すことに父親は常に「ダメ・ダメ・ダメ」だった。母親には小言を言われ、父親には叩かれた記憶ばかりが残っている。同級生が親に何でも話して笑いの絶えないことを聞くことがうらやましい時でもあった。

 小学校5年の時、全てが嫌になり「死んでやるー」と学校を飛び出したこともあったが、夏休みなどの長期の休みは、祖母の家にいたことで心が安らいだ。わたしの味方だった祖母は、中学校の時に亡くなり(祖母の愛が当時の私を助けてくれた)、その後は、母親の妹、叔母の家に行くことが多くなった。叔母は私を理解してくれ母親のようであった。高校になる頃には、親は離婚し、「どっちにつくんだ」とよく言い寄られた。母は再婚する予定があった。名字を変えたくなかったので私と上の妹は父の方に、下の妹は母の方についた。早く親元を離れて自立したかった私は、高校を出てすぐ親元を離れ、父方の祖父の住む福井県で就職し、単身移住した。

 解放された。私は、思いっきり色んなことに挑戦できた。職を変えたのも給料とやりがいでした。ハングリー精神が強くてお金に執着し、欲しいものは何でも買った。クルーザーまで買ったのはちょっと行き過ぎだったと今は思う。20代は、人を心底信じることも少なく、物欲で心を満たしていたのかもしれない。そんな20代だったので知り合いは多いが、心友はほとんどいなかった。結婚したが、親同様離婚した。子は、親の道をたどるのだと思った。

 仕事ができる、結果も出せる、やれる人間だと自画自賛していた私でしたが、人との関わりがあって人からの支援が結果を生み出していたことにこのときは気がついていなかった。

 ある日、昔の上司から1本の電話掛かってきた。○○さんが亡くなったと。一瞬目の前が真っ暗になった。○○さんは、電話をくれた上司の同僚で二人は私の恩師でもあった。○○さんは、わがままで自己中心的な私をいつも陰でバックアップしてくれていた。この人と将来新たな事業をしたいと思っていた。そんな○○さんは、独立し資金繰りの悪化もあり、自殺したのである。生涯忘れない日だと思う。○○さんが、自殺する1年ほど前に私に保証人になって欲しいと連絡があり、「いくら必要なのですか。」と訪ねると「100万ほど必要。」私は、この時、月に100万以上も稼ぐこともあったので、「100万お貸ししますよ。」とお金だけを簡単に用立てした。大切な方だから返済もいつでもよかった。それが間違っていた。本当に必要なのは「お金」だけだったのか。将来いっしょに事業をしようと思っている人の本当の助けになったのかと自殺された後、数ヶ月毎日のように考えた。なんの恩返しもしていない、惨めだった。身近な人の死が私に何かを気づかせてくれたのだとこの時はまだ気が付いてなかった。

 再婚していた私に、待望の子が授かった。生まれた日が、○○さんの死のちょうど1年後、命日の日でした。その日、○○さんのお墓に報告に行った。○○さんの生まれ変わりかもしれないと強く感じた。

 仕事で部下を多く持つことになり、対人関係で悩みの毎日となる。どうしてこの考え方が分からないの?こうすればこうなると答えあるのになぜしないの?どうして分かったと言ったのになぜ次の日に退職届を出すの?マイナス思考ではなくて、どうしてプラス思考になれないの?どうして現状を肯定できないの?どうして自分を好きにならないの?だぜ!なぜ!の毎日でした。たくさんの本を読んだ。モチベーションの上げ方!相手を認め誉める!成功哲学!コーチング!などなど、読みあさった。そんな時、統計学という学問と出会い自分を見つめることができた。

 私は、34歳の時に2回目の独立をする。健康ブームでもあったので健康事業と、以前からやりたかったIT事業をスタートさせた。しかし、一人で始める事業は、孤独で難しいものなんだということを知ることとなる。資金がつきて、借入金の返済も難しくなり、死が脳裏に浮かんだ。もう駄目だ、終わったと思った。楽になりたかった。

 ある日、本当に苦しんだ時に○○さんのことを思い出した。もしかするとこの苦しみを味わっていたのかもしれない。いやもっともっと悩んだかもしれない。また、子どもの寝顔を見ると、何バカなことを考えているのか。この時、○○さんが死して教えてくれたことに気がついた。残された人の気持ち、自分ひとりだけの人生でないこと、そして一人では何もできないことに気がついた。そして、自身の生きる道を再度見直すことができた。

 この時から新たな人生がスタートする。自分自身の生きていく意味を考えだした。多くの方の考え方や思考にふれる機会をつくっていく中で、以前に学んでいた学問を思い出した。それが統計学。以前は統計学を見て、そううか、なるほどなぁと思うだけだったが、深く知ることで色んなことに気づくこととなる。学ぶほどに幼少期の自分の感情や人との関わりが理解できるようにもなった。そして、現在関わる人たちのことも感覚だけでなく具体的に分かるようになってきた。自分を理解できる人、できない人のなぜ?を具現的に分かるようになったのです。すごく楽になった。

 自分自身を活かしながら人生を豊かに楽しく生きるためには、どうしたらよいのか? それにはまず、自分が持って生まれた本質(性格・性質・能力・こだわり・意志決定・行動特性・役割など)をよく知る事が大切だと気がついた。そして、自分の周りの大切な家族や仕事の関係者などの本質も知っておくことで、お互いの誤解や勘違いから生ずる不利益を出さないですむことができることに気がつきました。

 その学問を研究し、プライベートや仕事の中で活用した。心に余裕が出てきた。すると更に色んなことに気づき初め、これを多くの方が理解できたらと思った。仕事の合間を利用し、人生相談室を開設した。すると電話がよく掛かってきた。離婚問題や人間関係、金銭問題、子どもの悩みなど。相手のことばかり文句をいって自己を正当化ばかりする人、自己を追い詰めている人など様々な悩みでした。教育の現場の経験もあったので、このままの社会、日本では、未来の子ども達が駄目になってしまう。何かしないといけないと思った。すぐできることは何か、日々考えた。自己を見つめる教室を開こう。自己を見つめ、他人を理解し受け止めることを学んでもらおうと塾をスタートした。

 人にあれこれ言っていると、自分のことを客観的に見られるようになり、シェアを広げていけるようになった。自分はこの世に何の為に生まれ、何をすべきか考え出した。ある日、そうだ、もっと多くの方が自立でき、相手を理解し、認め合いながら自己の進むべき道を見つけられたらいいのではないかと。それができるツールを開発しようと思った。資金を出し協力してもらえる仲間を募り、開発が始まった。一人一人が、何千人ものデータを集め、分析しそれを数値化しシステムに置き換える膨大な作業を何ヶ月も掛けておこなった。

 数値化しないとパソコン上で表現できない。プログラムにならないのである。パソコン歴が20年あった私でしたが、ソフト化するだけの知識は無かったが、私の活動に共感してくれた仲間のおかげで、立案から1年半の歳月を掛け完成させることができた。それが自立・コミュニケーション・自己実現を支援するツール『My未来Note』である。完成後テストを繰り返し、バグや修正を行いながら、利用者を少しずつ増やし、利用者に講座を受講いただいたり、ご意見を伺ったりしてシステム向上に努めてきました。

 My未来Noteは、分析心理統計学として自分や周りの人たちを理解し、未来を創造できる最新のシステム!です。 難しいことを楽しく!簡単に!そして、使い込む程に深く学べる!そんな驚きのシステムとなりました。毎日が発見と納得に変わります。

 私は、今幸せである。二人の娘から愛をいっぱいもらっています。妻には無理を掛けているが、小言一つ言わず子ども達を見守ってくれています。感謝の毎日です。

 2009年にNPO法人「新しい風」の活動をスタートした。途上国で植林活動を行う。この活動を通して素晴らしいことに気がつけた。頭では、理解していたが、自然の中で活かされている私たちであることを気づかされた。本来地球に活かされ生きていることを、人間は忘れていると言うことです。人間以外は、自然の摂理、周期の中で生きている。四季を感じ、芽を出し、幹や枝、葉を育て、花を咲かせる。そして実を付け子孫を残す植物。冬になると冬眠する熊、時計もないのに10年おき、また17年おきに地上に出てくるセミ。そんな自然界を破壊し続け、人間が自然を、地球を支配しようとしている。日が沈んでもいつまでも昼間のごとく活動する私たち、人工的につくり出した化学物質を食す私たち、異常をきたさないわけがないのです。自殺者の増加(年間3万人)、鬱病患者も後を絶たない。さらには環境破壊。人も本来動物なのです。当たり前ですが、当たり前の生き方ができていないのが先進国の人々なのだろうと感じる今日この頃である。私たち人間にも周期やサイクルがあることを再認識しないといけないのではないでしょうか。

2010年からふくい未来ビレッジ・ネットワークの副代表として参画
詳細はhttp://fmvn.org/

2011年3月に災害支援チーム「未来ビレッジJAPAN」を発足 現在も支援を継続中
http://fmvn.org/mirai_JAPAN/jishin.html

 多くの方に「My未来Note」を活用いただき、気づけなかった自分に出会い、気づけなかった相手に気づき、そして認める。人と人の縁を大事にし、自然界に生かされていること知り、更に、時期にも気づいていただき、心安らかに過ごせる社会を多くの方と分かち合っていくことが私の願いでもあります。私たちの未来の為、未来の子ども達の為にも素晴らしい社会を創造していきたいと思います。

 本当は、このようなソフトはいらないのかもしれません。ただ、人間本来の能力を低下させている現代人に、形無いものを形にして見せることが必要になってきているのだと思います。見えないものを見える形にしたのが「My未来Note」です。

 My未来Noteは、まだまだ発展途上ですが、多くの方々の力の中で成長させていきたいと思っています。全国にMy未来Noteの塾や教室を創造していきたいとも思っています。

 物質的な豊かさ、体の健康を手にした我々ですが、最も重要な「心の豊かさ」を大切にできる社会にしていきたいとも思っております。このMy未来Noteが多くの方の幸せ実現に寄与していくこと願っております。

「きっとあなたの未来がわかる!」
「きっとあなたの廻りがかわる!」
「きっと日本の未来がかわる!」

そう信じています。

全ての答えは自然界の中にあるのかもしれません。


株式会社ノアジャパン

代表取締役

輝く未来クリエーター 宮田香司